恩人ジャニー氏が苦心したネーミング秘話

TOKIO、KinKi Kids、嵐、KAT-TUN、NEWS、関ジャニ∞、Hey!Say!JUMP、Kis-My-Ft2、Sexy Zone、King&Prince……ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川氏が天才プロデューサーたるゆえんの一つが、その独特なネーミングセンスだ。

 しかし、その中でKinKi Kidsは、ユニット名を決めるまでに紆余曲折あったことはあまり知られていない。

「2人は1992年から正式デビューではないものの、雑誌等でそろって活動しており、この時期の彼らは、まるで売れないお笑いコンビのように、ジャニーズ関西組、堂本ブラザーズ、W堂本と名義が二転三転。同年にSMAPのバックダンサーとして出演した際にはKANSAI BOYA(カンサイボーヤ)という名前で紹介されています。いずれも、ジャニーズが初めて”関西”を売りにしたユニットを手がけることで、必要以上に芸人的なニュアンスの盛り込みを意識していたことが伺えます」(芸能記者)

 そんなKinKi Kidsだが、現在はジャニー氏の死去に伴って、その動向が注目されている。

「今年6月に発売された『週刊文春』(文藝春秋)によれば、ジャニー氏がいなくなれば堂本剛はジャニーズ事務所を退所する意向だと伝えています。また、同じく『週刊新潮』(新潮社)では、堂本光一は後輩の育成を希望していたが、滝沢秀明にそのポジションを奪われてしまったことで、退所を決意しているとも。2人は『方向性の違い』で以前からKinKi Kids解散の意向を持っていたが、ジャニー氏の恩義によって踏みとどまっていたと見られており、近い将来の解散、もしくは退所の可能性は否定できません」(業界関係者)

 数々のヒット曲を生み出してきたKinKi Kids。もしもKANSAI BOYAのままだったら、果たしてその栄光はあっただろうか?

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