退所組が語るジャニーさん

ジャニーズの現役タレントがジャニーさんのエピソードを話す機会は、特に平成後期以降、飛躍的に増えています。しかしその一方で、事務所を離れてしまった元所属タレントたちはというと、表立って思い出話をする機会がほとんどなくなっているのが現実。そのため、ジャニーズを辞めた彼らが見ていた“ジャニーさん”については、あまりよく知らないという方が、時間を追うごとに増えていっているのではないでしょうか。

 そこで今回はあえて「ジャニーズの退所組」に照準を合わせ、エッセイや出演番組の中から、彼らが語っていたジャニーさんの思い出をピックアップ。

 人生の一時をともに歩み、そして“巣立っていった子どもたち”の視点から、改めてジャニーさんの軌跡を振り返ります。

若かりしジャニーさんを語る、元フォーリーブス・江木俊夫
 まず最初にご紹介するのは、かつて『フォーリーブス』の一員として活動していた、江木俊夫さんの記憶。1960年代から1970年代にかけてジャニーズ事務所に所属していた江木さんは、事務所を立ち上げて間もないころのジャニーさんを知っている、今となってはかなり貴重な存在でもあります。

 そんな江木さんがかつて自著で語っていた、「若かりしころのジャニーさん」の記憶がこちら。

《ジャニーさんは、黒々とした髪、色白の頬にいつも青々としたヒゲの剃りあと、小柄でよく気がつき、いつも動きまわっている……。そのころ三十代前半であり、精力的で、終始早口であれこれ指示し、疲れを知らないようでちょっと圧倒されました》(KKベストセラーズ『ジャニー喜多川さんを知ってますか - 初めて語る伝説の実像』江木俊夫:著)

 平成育ちのジャニーズファンにとってはなかなか想像のつかない、「黒々とした髪」のジャニーさん。しかし「早口であれこれ指示し、疲れを知らないよう」な姿は、晩年もなお、尽きることのなかったジャニーさんの情熱を思えば、なんとなく想像ができます。

 また江木さんは同じ本の中でもうひとつ、ジャニーさんにまつわる「驚きの記憶」にも触れていました。

《わたしがジャニーさんを単純にスゴイと思ったのは、アメリカの番組プロデューサーと対等の立場で話し合っている後ろ姿を見たときです。ジャニーさんはアメリカ国籍ですから、英語がしゃべれるのは当然。それでも、細かいニュアンスまで理解して応えている態度に、驚きを感じたものです。しかも、ジャニーさんはまったく引け目を感じることなく、対等に向き合っていたのが印象的でした》(同著)

 アメリカのプロデューサーとも堂々渡り合うジャニーさんを江木さんが目撃する少し前、アメリカでは坂本九さんの『上を向いて歩こう』(英題:SUKIYAKI)が全米1位を獲得していたのですが、当時、坂本さんと親交があった黒柳徹子さんは「『全米ビルボード1位』というのがどれほどすごいことなのかなんて全然わからなかった」「『よくやった!』なんて、誰ひとり言わなかった」と話していたことがありました。

 つまり当時の日本とアメリカは、まだエンターテインメントの評価ですら分断状態という、かなり遠い関係性にあったわけです。それでもジャニーさんは、当時の常識になんら飲み込まれることなく、自分の信じた才能を真摯(しんし)に売り込んでいたことが江木さんの「驚きの記憶」からは伝わります。

1970年代「YOU、やっちゃいなよ」で育てられていた郷ひろみ
 続けてご紹介するのは、郷ひろみさんの記憶。もう知らない世代もかなり多くなってきているかもしれませんが、郷さんはかつてジャニーさんに才能を見いだされる形で、1972年にジャニーズ事務所のソロタレントとして芸能界デビューしています。

 そんな郷さんは自著の中で、かつて「ジャニーさんのタレントの育て方」について触れていました。

《信じられないけれど、ぼくはダンスでもボーカルでも演技でも、レッスンらしいレッスンなんて受けたことはない。あそこはこうやれ、ここはこうと、ジャニーさんからステージングなんか教えられた。フォーリーブスからも教わった。でも、それは楽屋とかステージの袖とかで、コチョコチョてなもん。それでステージにポーンと出ちゃうわけ。徹底した現場主義。理論よりも実践。仕事するなかで、いろいろなことをマスターしていくわけ》(小学館『たったひとり』郷ひろみ:著)

 初代ジャニーズやフォーリーブスのころまでは、タレントにアメリカへの本格的なレッスン留学などもさせていたジャニーさん。しかし1960年代後半のグループ・サウンズブームで、大衆がより刹那的な熱狂を求めるようになった影響か、1970年代に所属タレントとなった郷ひろみさんには一貫して「実践主義」で接していたようです。

 ちなみにこの前段には、《渋谷のジャニーズ事務所へ挨拶に行ったその日の夜、北海道旭川のフォーリーブスショーでいきなり舞台にあげられていた》という驚愕(きょうがく)の実話もあります。今になって思えばこの郷ひろみさんのころからが、その後のジャニーズ事務所を大きく育てるジャニーさんの金言「YOU、やっちゃいなよ」の始まりだったのかもしれません。

田原俊彦が語る「第二の父親」ジャニーさんとの思い出
 1976年にジャニーズ入りし、ソロアイドルとして大成功を収めた田原俊彦さん。事務所を辞めた後もことあるごとに、彼はジャニーさんへ感謝の意を表しています。それはまだ彼がレッスン生だった高校生のころ、ジャニーさんがこんなふうに接してくれていた記憶が大きいのだそう。

《レッスンが終わって一人だけ(自宅のある)遠く離れた甲府へ帰っていく僕を、ジャニーさんはいつも新宿駅のホームまで送ってくれて、電車が発車するまで必ず見送ってくれたことが印象深い。ジャニーさんが僕を一人で帰したことは一度もない。片道二時間以上もかかるから、きっと心配してくれていたのだと思う》(KKロングセラーズ『職業=田原俊彦』田原俊彦:著)

 田原さんは幼いころに実父を亡くしており、一日でも早く自立するための方法として、ジャニーズ事務所からのデビューを目指していました。ジャニーさんが芸事には厳しい一方で、それ以外では自分たちと一緒になって遊んでくれたり、温かいご飯を食べさせてくれていたことも、田原さんはかけがえのない記憶として、著書の中でひとつひとつ振り返っています。

《合宿所での僕たちの前では、いつも落ち切らないオヤジギャグを連発していた。そうした意外な部分があることもつけ加えておきたい》(KKロングセラーズ『職業=田原俊彦』田原俊彦:著)

 実際にジャニーさんの緊急搬送が報じられた今年の7月にも、田原さんは報道陣に対して「僕にとっては大切な“第二の親父”です」と、何ら変わらぬ愛情でジャニーさんのことを表現していました。

元SMAP稲垣吾郎が「いちばん怒られた」その理由とは
 そしてジャニーさんによって選抜され、のちに日本の芸能史に名を残すことになったアイドルグループ・SMAPのメンバーも、もちろんこれまでにジャニーさんとの思い出をたくさん語ってきています。

 しかし興味深いのは、SMAPのメンバーが話すジャニーさんの思い出は、その多くが「怒られた」エピソードであること。

 つい先日も、ジャニーさんの思い出を聞かれた稲垣吾郎さんが「グループの中でもいちばん怒られた」と語っていましたが、そもそもなぜ稲垣さんはジャニーさんによく怒られていたのか。それをかつて、SMAP自身がテレビで細かく語り合っていたことがありました。

中居「6人で(テレビに)初めて出たのが、『いつみ・加トちゃんのWA-っと集まれ!!』」

木村「あれは芸能人とは言えないね。団地の小僧だね」

中居「吾郎はほんっと目立ちたがり屋だったね」

稲垣「テレビに映りたいじゃん。とりあえずさぁ、出れるんだから。映っちゃえって感じで」

中居「俺覚えてる、ダンプ松本とさ、ピンクトントンっていたじゃん。あれがスタジオでさ、歌ってたんだよ。吾郎うしろでさ、2人が歌ってる間(ひどくおどけたポーズ)こうやってるの。そんでジャニーさんにエラい怒られて。『ちゃんと手拍子とかしろ!!人の作品をぶち壊すな!!』」

稲垣「”お母さん見てる?”のレベルだよね」
(95年4月18日フジテレビ『SMAPのがんばりましょう』より)

 そもそもジャニーズ事務所への履歴書も姉が送っていたりと、入所時はプロ意識が全くなく、ただ楽しいだけで芸能生活を送っていた様子の稲垣少年。しかし面白いのは、このジャニーさんの叱咤(しった)が逆に、意外なところでその後の稲垣さんの芸能人生とつながっていったところです。

「芸能界に入って朝ドラデビューしたんですけど、そのときお母さん役のいしだあゆみさんに、“オンエア見たけどすごくよかった。お芝居もすごくよかった”と言われて。(略)自信も何もなかったのに急に抜擢されちゃって。グループにいても、踊りも歌もそんなに褒められることもなかったし、ジャニーさんに褒められるわけでもないし。それを共演者であるお母さん役のいしだあゆみさんに褒められて、“あっ、オレ、お芝居イケるんだ!”って思って。(略)そこで自信を持ったんですよ」
(12年10月11日 文化放送『稲垣吾郎のSTOP THE SMAP』)

 ……このように、1度、ひも解けば彼らの中からも変わりなくあふれてくるジャニーさんとの思い出。たとえ現役のジャニーズタレントではなくなったとしても、退所組の多くがその後も芸能活動を“天職”としているのを見ると、その原点にいてくれたジャニーさんに対して、彼らが特別な感情を抱き続けているのはごく自然なことではないかと思います。

 9月4日の『お別れの会』に参列する人も、参列できない人も、きっとジャニーさんへの思いは同じのはず。

 ファンや視聴者として見守る私たちも、その“記憶”だけは、ずっと忘れずにいたいものです。

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