大野智「頑張った分だけ人は自由自在になれる」

アイドルは夢じゃなかった
――アイドルになることが夢だったのですか?
「いや、全然。ジャニーズって歌って踊って、何だか大変そうだと思ってたから(笑)(※1)」
2010年の時点でこんな受け答えをしている大野智。小学3年生の時から絵を描くのが好きで、本当になりたかった職業はイラストレーター。自分の意志で入ってきた人もそうでない人もいるジャニーズの中でも、特に大野は「なんでこんなところに……」の感覚を強くもっていた人です。
しかし、ジャニーズアイドルとしての成功は言わずもがな、自分のやりたいことを実現してきた人でもあります。
自分のやりたいことと、別の仕事についてしまった時どうするのか?
流されるまま仕事についてしまった場合、そのまま流されるべきなのか?
流されがちだった状態から、与えられた仕事と自分のやりたいことの両方で成果を出した大野の人生にヒントを見出します。まずは簡単にその人生を振り返ってみましょう。
■高校は入学3日で中退
1994年、中学校2年生の時に、母親がジャニーズ事務所に履歴書を送り、いやいやジャニーズ入り。しかし、それから5年間は「踊りを極める」という目標を自ら設定し(※1)、努力を重ねます。
高校は入学3日目に校門の前で引き返すという形でやめています(※2)。そのことをジャニー喜多川に告げたところ、「じゃあ、京都行く? 京都の舞台だったらメインで踊れるよ(※1)」と誘われ、京都行きを決意。『KYO TO KYO』という舞台に出演します(※1)。
この舞台は、約半年の公演期間中、京都で暮らさなければいけないのはもちろんのこと、1日5回公演というハードスケジュール。1000人入る劇場で、お客さんが50人しかいないようなこともあったといいます。つらすぎて、フライングで吊るされながら泣いていた日もあったという大野(※2)。
それでも「生まれて初めて無我夢中になれた(※1)」というほど踊りには熱中でき、2年連続で京都での舞台を終えます。その後、少年隊の舞台に出演した後、事務所を辞めようと、ジャニーさんに直訴します。ですが、ジャニーさんに「レコーディングを手伝ってくれ」と呼ばれ、楽譜を見たら“嵐”“大野ソロ”と書かれていた……。というのが嵐のメンバーになるまでの流れです(※1)。
■嵐に就職するまで、人生流されてきた
そんな大野も、デビューをすれば、さすがに腹をくくるかと思いきや……。
「最初の何カ月かはどうやったら逃げられるんだろうってことばかり考えていた。どうやったら抜けられるかなって(笑)(※1)」
生放送に遅刻して怒られた時に初めて、「『ああ、もうJr.の頃のようにはいかないんだ。就職しちゃったんだ』って気持ち(※1)」になって、「ちゃんとやらなきゃ(※1)」と感じたのだといいます。
ところどころできちんと努力はしているものの、大野にとって“嵐という就職先”が訪れるまでは、割と流されてきた人生だったのです。ジュニアに応募したのは母親ですし、嵐に選んだのもジャニー喜多川です。

この“就職するまでは、人生流されてきた”という感覚は、多くの人に当てはまるものかもしれません。自分が本来やりたかったことを実現できる職業に、最初から就ける人など、本当にひと握り。それは動かしようのない事実で、大野もそのひとりだったのです。
■寝ずにフィギュア制作
しかし本当に怖いのは、そのまま流されていくうちに、本来やりたかったことを忘れてしまうこと。学生時代にはきちんと描けていた夢を、仕事をはじめて数年経ったらすっかり意識しなくなっていた、なんてことはありがちです。
その点、大野は、自分のやりたかったことを忘れませんでした。
嵐としてデビューし、活動していくという大きな流れには逆らわない一方で、流されていない時間の使い方もしていたのです。忙しい日々をおくる中、プライベートの時間に絵を書いたり、フィギュアを作ったりという創作活動を続けていきました。もちろん、嵐の仕事もきちんとやりながら。特に誰かに公開する予定もなく、勝手に、です。
嵐としてデビューする前、京都の舞台の楽屋でも絵を描き続け、デビューをして数年を経た後、2006年の年明けからはフィギュア制作もはじめます。舞台期間中も、休演日はもちろん、大阪公演のホテルの中でも、1日2回公演のあとでも作っていたというのですから、その熱意とかけた時間はかなりのもの。
ちなみに大野は映画が苦手らしく、撮影中は「1日1回は自分のやりたいことやらないと(笑)。撮影が夜中に終わろうが、そこから朝まで作って、そのまま寝ないで現場行ったほうがスッキリする。作らないとダメだったんだよなぁ(※3)」と語っています。
人間って、やればできる
仕事のリフレッシュとしてはハードすぎる作業時間。大野は、嵐としての仕事が忙しくても、創作活動をやめなかったのです。しかも、誰かに強要された締め切りがあるわけでもない状況で、大野は「2006年9月までにフィギュア100個を作る」と自ら期日を決めて創作をしています。できなかったら、「お酒を断つ」「まゆ毛を剃る」と自分で自分に罰ゲームを設定し、友だちにも宣言。というと冗談めいて聞こえてしまいますが、「その日までに出来なかったら、やっぱ自分に嘘つくことになる(※3)」という発言からは、ストイックさがうかがえます。
誰かに設定されなくても、しかも仕事ではないにもかかわらず、自分で期日を決めるのは、舞台の影響が大きいようです。その理由をこう語ります。
「舞台は稽古期間が短くても、本番は決まってて、お客さんが入る……これはもう確実にあって、逃げ出すことは出来ないでしょ? 『ホントに出来るのかよ』って思うんだけど(笑)。でも初日は確実にやってくるし、出来ないと思ってても、結局本番では出来てる。そういう経験を今までしてきたから。『あぁ……人間って、やれば出来るじゃん!』って(笑)。だから、絵を描いてるのは趣味だけど、期日を決めたらいいんだって(※3)」
仕事で、きちんと何かを達成したという成功体験が、趣味のアートをする時にも活かされて「出来るはず」と思わせる効果を生むのでしょう。
■自由になるために、仕事で成果を出す

嵐というグループは1999年にデビューをしましたが、その後、人気が伸び悩んだ時期がありました。中でも大野は、ジュニア時代から注目されていたり、すぐに連続ドラマの仕事があったりした他のメンバーに比べると、人気が高いとは言えない方でした。
しかし、与えられた舞台の仕事などは着実にこなしていき、評価をきちんと高めていきます。
そんな中、2005年頃からメンバーである松本潤の主演ドラマ『花より男子』人気などをきっかけに、嵐全体が注目を集めはじめます。すると、大野が作品を創っているということを知ったファンなどから、見たいという声が届くようになるのです。
フィギュアを2006年9月までに100個作る、という目標を締め切りより早く終えた後、大野は事務所の藤島ジュリー景子に自ら個展の企画を提案します。そして2007年、嵐は本格的にブレイクを果たします。
2008年2月、大野の作ったフィギュアや絵を展示するアート展『FREESTYLE』は全国で開催され、写真集も25万部の大ヒット。奈良美智など日本を代表するアーティストからも高評価を受けました。大野智は、嵐という与えられた仕事でもきちんと実績を残しながら、本来の夢をも叶えたのです。すでに30歳目前、ジュニア入りから14年の月日が経っていた年のことでした。
与えられた“仕事”で結果を出すことで、本当にやりたいことができる――。
嵐として20年の結果を出した上での“休職”が認められたことも含め、成果を出せば出すほど、人は自由になれるのかもしれません。

「好きなら、やり通せばいいじゃん!」
さて大野には、もともとアートの才能があったのでしょうか。大野自身は「才能がある」と言われると、それをきちんと否定します。
「みんなが義務教育で勉強してる中で、俺は勉強しないでひたすら絵を描いてただけの話なんだよ(笑)(※3)」

「好きなら、やり通せばいいじゃん!ってこと。(中略)捉え方の問題だと思うけど、でも結局『好きか嫌いか』『興味あるかないか』じゃない? 絵を描きたいなら、描いてみて『あ……好きかな、興味あるかな』って思ったら続けるだろうし、『あんまり……』っていうなら、それは才能がないんじゃなくて、興味がないんだよ(※3)」
才能のある/なし、ではなく、興味のある/なしである。という大野の説明には説得力があります。大野の人生は、「好きだから」という理由で、幼少期からひたすら創作をし続けていた人生です。違う仕事に就いても、合間を見つけてはやり続けていた。そうしたら、結果が出てきた……。
この大野の現在に至るまでのキャリアを説明するのには、「プランド・ハップンスタンス・セオリー(Planned Happenstance Theory)」という言葉がしっくり当てはまります。これは直訳すると、「計画された偶発性」。つまり、「キャリアは基本的に、予期しない偶然の出来事によってその8割が形成される」という理論です。いくつかのことを準備しておいて、それを持ち合わせた状態でフラフラしているとチャンスが来る、という含意があります。大野にとってはまさに、ジュニア入りも嵐入りも、他人の誘導による予期せぬ偶然の出来事で、不本意ですらあったこと。「やめよう」と思って、行動に出たこともあるほどです。

大事なところだけは流されない強い意志
しかし、その与えられたアイドルという“他人の決めた天職”に対して、ちゃんと向き合った上で、自分の本当の夢への努力も怠りませんでした。そこに、結成8年での嵐の大ブレイクという、予期せぬ出来事が重なり、結果“本当の夢”の実現に至ります。
おそらく大野には“努力”はおろか“準備”という意識すらなかったことでしょう。他人が振り返れば、アートに費やしていた時間は準備にも感じられますが、「好きなことを必死にやっていた時間」が多く積み重なっていったという感覚のほうが近いかもしれません。それは決して“下積み”といった重いイメージではなく、“好きなことを必死にやっていた時間”が積み重なり、夢が実現したとき、結果的にそれまでの時間は“夢のための準備”と呼ぶことができるようになるというイメージ。
そうして“本当の夢”を達成したあとに得られるのは“本当の自由”。嵐の活動休止に際して、大野は「3年休むとか許されないと思ってた」と退所を覚悟しての進言だったようですが、結果、周囲の好意的な尽力もあり「やめる」ではなく「休む」ことになりました。
アイドルという、様々な事情にがんじがらめになっているように見える立場の人ですら、与えられた仕事で成果を出し続けた人には、自分のしたい仕事ができたり、休む意志が通ったりという“本当の自由”がやってきます。
大きくは流されながらも、大事なところは流されない強い意志を持つ。

そのバランスで大野は「ジャニーズって大変そう」と思っていた少年から「嵐でよかった」と心から思える大人になったのです。
大野智もこう言っています。
「頑張った分だけ自由自在になれる(※4)」と。

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