「秀樹、大丈夫? クリスマスもひとりぼっちで過ごしてるんじゃないよね」

平成最後のクリスマスがやってくる。聖なる夜に大切な人のことを想う。そんな気持ちは、いつの時代も変わらない。1990年代後半の12月24日の夜のことだ。突然、西城秀樹の電話が鳴った。

「秀樹、大丈夫? クリスマスもひとりぼっちで過ごしてるんじゃないよね」

 40才を過ぎて、まだ独り身だった秀樹のことを、ふと思い出して心配になった。電話をかけたのは樹木希林だった。

「大丈夫、大丈夫。友達の家族のクリスマスパーティーで楽しんでるから」

 そう答えた秀樹を、樹木は叱ったという。

「よその家族のパーティーに交ぜてもらってる場合じゃないわよ。あんた、いつになったら結婚するのよ──」

 この40年間、ふたりはいつも年の離れた姉と弟だった。

 樹木と秀樹が出会ったのは、1974年放送開始のホームドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS系)でのことだ。当時「悠木千帆」を名乗っていた樹木は31才、秀樹はまだ19才だった。

 音楽家としては著名だったものの、俳優未経験の小林亜星を主役に抜擢し、平均視聴率30%を超える国民的ヒットを記録。そのドラマの中で、樹木と秀樹は「祖母と孫」という関係を演じた。

 30代で老婆を演じた樹木は髪だけでなく、まつげまでも脱色した上で老けメイク。常に指ぬき手袋をつけていたのも、若すぎる肌が露出することを嫌ってのことだった。

 劇中、家族でちゃぶ台を囲むシーンでは、口からご飯粒を飛ばす樹木に「汚ねえなァ、ばあちゃん」と秀樹が文句を言うのがお決まり。昭和の頑固オヤジ・貫太郎(小林)が激怒する名物シーンでは、ふたりとも容赦なく投げ飛ばされ、建具が壊れることは日常茶飯事だった。

 秀樹に至っては、力余って茶の間から庭まで投げ飛ばされて、なんと右腕を複雑骨折。1か月の休業を強いられたこともあった。

 そんな人気ドラマの舞台裏で、出演者同士、家族のような濃密なつきあいが始まった。当時すでにスターの座を確立していた秀樹も、家族の中ではまだ“若造”だった。収録の合間、小林のほか出演者の左とん平、由利徹、伴淳三郎の男性陣が車座になり、19才の秀樹を手招きしては、「猥談」に花を咲かせ、真っ赤になって照れる秀樹を面白がった。それを見ていた樹木は一言。

「あらあら、はしたないねー」

 だが、秀樹も後年、樹木との座談会でこんな逸話を明かしている。

「希林さんには・・・・触られた。もうびっくりしたよ。何すんだろうって。フリじゃなくて、本当につかんでた」

 すると、樹木も負けてはいない。

「残念ながら全然手が覚えていない…。触られた方は忘れないよね」

 いずれにしても、当時の撮影現場の鷹揚な雰囲気が伝わってくるエピソードだ。小林が当時を振り返る。

「西城さんはバリバリの売れっ子で、リハーサルをする時間がないほどでしたね。ぼくが投げ飛ばして骨折させてしまったときは、彼のファンから『同じ目に遭わせてやる』とか『お前の大事なところを引っこ抜いてやる』っていう脅迫めいた手紙が来て、怖いなと思ったりしました(笑い)。

 人気絶頂なのに、スター気取りがまったくなく、“気のいい近所のお兄さん”風の自然体だった。ぼくもスタッフも大好きで、本当にかわいがられていましたよ。特に印象に残っているのは、劇中の食卓シーンで、実際にものすごくモリモリ食べること。忙しすぎて食べる時間がなかったんだろうね」

 秀樹の朴訥で飾らない人柄には、人を惚れさせる引力があった。

 その後、『寺内貫太郎一家』はシリーズ化され、舞台やスペシャルドラマにもなったほか、1998年には通信会社のCMでも“再結成”したりと、メンバーが顔を合わせる機会が続くことになる。小林は目を細めてこうつぶやく。

「40年間、なんだかんだいいながらずっと会っているので、本当の家族のような絆ができてくるんですよ」

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