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zoom RSS 芸は盗むもの 田原俊彦からタッキーに受け継がれる“伝統”

<<   作成日時 : 2018/12/31 13:00   >>

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組織には独特の慣習やルールがある。

 それは「旧弊」として弊害を指摘される場合もあれば、「伝統」として受け継がれている良いケースもある。

 ジャニーズ事務所を創設したジャニー喜多川氏は「男性が歌って踊ること」に主眼を置き、1964年のジャニーズ、68年のフォーリーブス、72年の郷ひろみとデビューさせたタレントを次々と売れっ子に育て上げ、「ダンスは宝塚歌劇団の専売特許」いう固定観念を覆した。

 しかし、郷ひろみ移籍後の70年代後半、事務所は苦境に陥った。その時期、研修生として入ってきたのが“歌って踊れる”田原俊彦や錦織一清だった。

 田原は80年に『哀愁でいと』でデビューすると、当時の人気歌番組『ザ・ベストテン』で3週連続1位に輝く。同番組でのランクインも1位獲得も、ジャニーズ事務所初の快挙だった。少年隊はデビュー曲『仮面舞踏会』で、同番組で6週連続1位に輝いた。


 こうして、ジャニーズ事務所は盤石の体制を築き始める。

 その裏にあった、タレントの努力には、あまりスポットが当てられていない。

 12月5日、少年隊の錦織一清はTBSラジオ『たまむすび』で、田原俊彦の『悲しみTOOヤング』(81年発売)を流した後、合宿所で寝食を共にした先輩について話した。

〈ものすごく練習する人なんです。それ見て、僕も刺激を受けたんですけど。(新曲の)振り付けをもらった夜から明け方まで、ずっと鏡の前で、ずっと自分のモノになるまで練習が必要だ、とずっとやる人でしたね。何も考えずに動けるようになるまで、慣らして動けるようになるまではやらなきゃいけないんだと僕は教わったから、トシちゃんに〉

 田原は自らの努力について語ることがないため、間近にいた人間にしかわからない逸話だ。


 錦織にもこんなエピソードが残っている。A.B.C−Zの戸塚祥太が雑誌の連載で、事務所の人から聞いた錦織の合宿所時代について綴っている。

〈仕事が終わって帰ってきたら、疲れてるからすぐ休みたくなるだろう? でも錦織くんは皆が寝静まってもずっと鏡の前で踊っていて。俺達もときどき付き合ったけど、「もう十分でしょ」って思っても、錦織くんは「衣装によって見え方が変わるから」って、半袖から長袖に着替えて、そこからまたひたすら踊り続けていた〉(『ダヴィンチ』14年7月号)

 田原の背中を見て育った錦織も、ブラウン管に映らないところで必死に努力をしていたのだ。それでも、テレビに出ればギャグばかり言っておちゃらける。そんなキャラクターは、田原と被る。

 2019年からプロデュース業に専念する滝沢秀明は一緒に仕事をする前の錦織について、〈いろいろアドバイスというか、ああしろこうしろというのがあるのかな…と、勝手にイメージしてたんです〉と明かした後、こう続けている。


〈滝沢「(中略)“自らやってみせる”みたいな感じだったので。僕らも見て覚えるみたいな感じでしたよね、言われてやるんじゃなく」

 錦織「すごいね、芸は盗むもんだなんて、まるで芸人の世界だね、オレって…(笑い)。でも、そういうものだからね」〉(以上、『東京ウォーカー』10年1月19日号 )

 ジャニーズ事務所には「努力は見せるものではない」「芸は盗むもの」という伝統があるのだ。田原は94年にジャニーズ事務所を退所したが、錦織がその精神を受け継ぎ、今も後輩に伝授している。

 昨今は芸能界に限らず、一般的にもSNSなどで過程を見せることに主眼が置かれがちだ。そのことで、周囲の共感を呼ぶこともあるし、悪いことだとは思わない。

 一方で、自分の頑張りをアピールせずに、何も言わずに仕事で証明する。それも、日本の古き良き伝統かもしれない。


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